観世稲荷社
京都市上京区大宮通今出川上ル観世町にある
京都市立西陣中央小学校の片隅に、観世稲荷社 がお祀りされています。
今出川大宮というバス停近くの西陣中央小学校に、
観世稲荷社の由緒を記した掲示板をみつけました。
観世町
という地名は、
初代の観世大夫であった世阿弥の父、観阿弥が、室町幕府三代将軍足利義満から拝領された土地であったことの名残とのこと。
大和猿楽の一座として奈良で活躍していた観世座が、観阿弥・世阿弥親子が、京都に進出したのです。
この屋敷は、九代目の観世大夫黒雪(1566〜1626)が江戸に移るまで観世大夫の住まいでしたが、その後は関西での観世座の拠点となる下屋敷として継承され、明治維新後に政府に返上。
1921(T12)年3月に、二十四世観世宗家によって、かつての観世屋敷の敷地の一部であるこの場所に、観世稲荷社が建立されたそうです。
観世稲荷社はここから入った場所にあるのですが、小学校にお願いして校舎の中から通していただきました。
土日など、小学校の休みの日には参詣できません。
西陣中央小学校では、5・6年生を対象に、二年に一度、うたいや仕舞などの体験学習と能楽鑑賞が行われているそうです。
校舎から外に出ると、壁のせまったひっそりとした場所に、社の後ろ側がみえました。
玉垣には寄進者の名前が刻まれています。
鳥居の扁額には「観世稲荷・観世龍王」
思いがけず、
小さなキツツキ、コゲラと遭遇しました♬
青空にはまばゆい太陽が輝いていました!
まず正面に「観世井」
「天俄かにかき曇ると龍が天降り、井戸に飛び入った」と伝わる井戸。
この井戸の水が常に渦巻いていたことから、観世水という紋がうまれたそうです。
「京観世」という和菓子にもなりました。
観世水の石碑
祭神は一足稲荷大明神と観世龍王
しばしば能楽は、
かなり難解な上に、思わず眠くなってしまう舞台芸術だと批判されますが、熱心な愛好者は現代も健在です。
能に限らず、歴史に残る作品を創造するということは、誰にでもできることではありません。
そんな偉業を成し遂げた世阿弥や、共に舞台を創ってきた人々の想いが、ここには残っているような気がしてなりません。
おそらく今でも彼らは能に携わる人々を応援してくれているのではないでしょうか。
火災にあっても失われることのない井戸があったおかげで、
世阿弥が住んでいた場所を訪ねることができました。
〜今みることの不思議さよ〜
*参考:「観世屋敷の舊跡」観世元滋『観世』大正12年5月号