能「咸陽宮(かんようきゅう)」現代語台本

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能「咸陽宮」

能・狂言の演目の中身を知りたい方のために、作品を、現代語で、短く脚色して、ラジオドラマ風に仕立てました。作品全体をわかりやすくするにあたって、謡本(うたいぼん)など元の台本にはないセリフを加えたりしています。鑑賞の際には、作品のおおよその流れをつかんでいただいた上で、能や狂言の独特な表現方法に注目しながら、舞台をお楽しみください。

能「咸陽宮」台本

 登場人物
  /秦の始皇帝〈シテ〉
  荊軻(けいか)/暗殺者〈ワキ〉
  秦舞陽(しんぶよう)/暗殺者〈ワキツレ〉
  花陽夫人(かようぶにん)/帝の妃〈ツレ〉
  官人/帝に仕える役人〈アイ狂言〉
   そのほかに、大臣達〈ワキツレ〉・侍女達〈ツレ〉


N(ナレーション)時は、紀元前3世紀、戦国の世の中国で 秦という国が周囲の国々を滅ぼして中国大陸を統一していった時代のお話です。
まず最初に、一人の官人が登場します。
官人:私は、秦の始皇帝に仕える者だ。帝からのお触れを伝える。
「我が国から燕(えん)の国に逃亡した反逆者、樊於期(はんおき)の首と、燕の領土の指図(さしず/地図)をこの国に持ってきた者には、たくさんの褒美を与えよう。」
N:場面変わって秦の国の宮殿、咸陽宮。その玉座に帝が登場します。
帝:私は、秦の国で最初の皇帝となる始皇帝だ。
N:帝の周りには、大勢の大臣と、これまた大勢のお妃様がいらっしゃいます。彼らの前で帝は、この宮殿がいかに素晴らしい御殿であるかを朗々と述べます。
N:ちょうど、その頃、燕の国から、咸陽宮に向かっている人物がいました。荊軻(けいか)と、秦舞陽(しんぶよう)の二人です。
秦舞陽:なあ、荊軻。今回の任務は、かなりきついな。
荊軻:秦舞陽よ、お前のような ならず者でも、おじけづくのか? そうだな、暗殺ってものは、生きては帰れないかもしれない仕事だ。だが、引き受けた以上はやるしかないさ。そうしなければ、自分の国が奪われることになるんだ。
N:実はこの二人、燕の国の太子の依頼で派遣された、スパイ、刺客でした。咸陽宮に着くと、荊軻が名乗りをあげます。
荊軻:我々は、燕の国の田舎から来た、荊軻と、秦舞陽という者だ。帝のご命令に従って、樊於期(はんおき)の首と、燕の領土の指図(地図)を持って参上した。
N:この報告を聞いた帝は、二人を迎えることにします。
荊軻:咸陽宮に入るには、まず、太刀を差し出さなければならないようだ。
秦舞陽:暗殺防止の決まり事だからな、武器は預けよう。
N:宮殿の敷地に入ると、目の前に、帝の御殿、阿房宮(あぼうきゅう)がそびえていました。
荊軻:おい、おい、これはなんだ。四方の鉄の塀の高さが100メートルを超えているぞ。宮殿は山の上か? 雲がかかってよく見えないじゃないか。しかも御殿へと続くあの階段は、金や銀で磨かれている。これを登っていくのか? ああ、薄氷を履む心地とは、こういうことだな。こうなったら登るしかない。よし、いくぞ。うん?(小声で)おい秦舞陽、いったいどうした?
秦舞陽:(小声で)だめだ、、、体が震えてきた。足が、、、すくんで、、、歩けない。
荊軻:(小声で)まずい。役人たちに怪まれるじゃないか。
(大声で)お〜い秦舞陽。みっともないぞ! 田舎者 丸出しじゃないか。御殿が立派すぎるからって ビビってる場合じゃないだろ。
秦舞陽:ああ〜荊軻よ。そんなに怒らんでくれ。俺は荒れ果てた田舎しか知らん。これが都会か。進んだ文化ってやつか。英雄の世界なんて、俺には想像できない。ただ、もう、びっくりだ〜。
荊軻:しょうがないな、この腰抜けが。俺が一緒に連れてってやろう。
N:こうして、荊軻と秦舞陽は、門兵にただの田舎者だと思わせることに成功したので、疑われることなく御殿の中へと通され、帝に謁見することとなりました。
帝:よくきてくれた。君たちが、私の望みを叶えてくれたのだな。
秦舞陽:ははっ。これが、あの樊於期(はんおき)の首でございます。
帝:確かに、これは樊於期だ。余は満足じゃ。
荊軻:そして、こちらが、燕の国の指図(地図)でございます。
帝:おお、なるほど。見せてもらおうか。
N:帝が、箱の中から地図をとり出すと、底の方に光るものが見えました。
帝:う、まずい、剣(つるぎ)だ!
荊軻:今だ!
秦舞陽:おう!
N:荊軻は、その剣をつかんで、逃げようとする帝の右腕をつかまえました。左の腕は、秦舞陽がおさえます。暗殺計画は、成功しそうです。帝の妃の一人、花陽夫人が嘆きます。
花陽夫人:なんという浅ましいこと! どうして、こんな前科者達を帝に近づけてしまったのでしょう。
N:荊軻が、手に持つ剣を帝の胸にあてた、その時、
帝:荊軻、そして秦舞陽、頼みがある。私の三千人の妃の中に、花陽夫人(かようぶにん)という琴の名人がいる。どうか、死ぬ前に、彼女の弾く 琴の秘曲を聞かせてほしい。
荊軻:どうする? 秦舞陽よ。
秦舞陽:ガッチリ つかまえたから、少しぐらいなら大丈夫だろ。
荊軻:そうだな。
N:この状況では、兵士達でさえも、帝を助けることができません。しかし、花陽夫人が琴を弾いて歌い始めると、荊軻と秦舞陽の心は ゆるんでいきます。
荊軻:なんだか、聞き惚れてしまいそうだ。
N:花陽夫人は 帝に気づかせるために、琴を弾きながら次のように歌います。
花陽夫人:
 ♬ 君聞けや。七尺(しっせき)の屏風(へいふう)は
   躍(おど)らば越えつべ
   羅穀(らこく)の袂(たもと)をも

引かば、切れざらん
帝:そうか。屏風は高いが飛び越えられる、薄絹(うすぎぬ)のたもとを引けば切れる、ということだな。
N:帝は、荊軻たちの腕の下のたもとを引きちぎると、屏風をとび超えました。
荊軻:しまった、逃げられた! この剣を くらえ!
N:荊軻が投げた剣は、外れました。逆に、帝が、自ら剣を抜いて、二人の暗殺者は 命を失うことと なったのでした。その後、秦の国が 燕の国を滅ぼしてしまうのですが、それは、花陽夫人の琴の秘曲の おかげであったと いえるでしょう。


★このラジオドラマは、2024年6月21日に FMいちのみや【Marbring Friday(毎週金曜19:30~20:00)】で放送された内容をもとにしています。

#能楽  #咸陽宮

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