能「松風(まつかぜ)」現代語台本

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 能・狂言の演目の内容を知りたい方のために、作品を、現代語で、短く脚色して、ラジオドラマ風に仕立てました。作品全体をわかりやすくするにあたって、謡本(うたいぼん)など元の台本にはないセリフを加えたりしています。
 鑑賞の際には、作品のおおよその流れをつかんでいただいた上で、能や狂言の独特な表現方法に注目しながら、舞台をお楽しみください。

能「松風」現代語台本

登場人物
 旅の僧[ワキ]
 松風[シテ]
 村雨(むらさめ)[ツレ]
*他に、須磨に住む男[アイ]

N(ナレーション):波の音が聞こえるこの場所は、摂津国、須磨の浦、現在の兵庫県、須磨区にある海岸です。そこに、旅の僧が一人、松風と村雨という海人乙女の旧跡と伝わる松の木のそばで佇んでいます。
:須磨の浦に着いたところだが、この松の下の土中に眠っている松風と村雨を、弔うことにしよう。
N:旅の僧が松風と村雨のための念仏を終えた頃には、日が暮れ始めていました。
:向こうに塩焼きの小屋が見える。あそこで宿を借りるとしよう。

N:この時、二人の女が、汐汲みの桶を乗せた「汐汲み車」をひいて、やってきました。
松風:毎日毎日、汐汲み車をひいて、短い一生を終える。なんて、はかない身の上かしら。
村雨:ここは、月を見ても、涙が出てしまうほど、淋しい場所だし。
松風:おまけに、風が強くて、一晩中 激しい波の音が鳴り止まない。そのことを、行平(ユキヒラ)様も「関 吹き越ゆる 須磨の浦風」って歌に詠んだほどだもの。
村雨:しかも、尋ねてくる人は誰もいない。
松風:でも、お月様が、慰めてくれるわ。
村雨:そうね。今夜もまた、袖(ソデ)を結んで肩にかけて、
松風と村雨:汐水を汲みましょう!
N:二人は、海水を汲み始めます。
村雨:みてみて、汐水を汲んだら、桶に月が映ってるわ!
松風:私の桶にも、月が映ってる!
村雨:空のお月様は一つだけど、
松風:桶には月が二つ、映ってる!!
村雨:満ち潮の
松風:夜の車に、
松風と村雨:月を乗せて、帰りましょう!
N:二人は、汐水を、塩焼き小屋まで運んでいきます。

:おや? 小屋の主が帰ってきたようだ。すみませんが、宿を貸してもらえませんか?
N:二人は一旦断りますが、お坊さんだとわかると、迎え入れるのでした。
松風:あばらやですので、葦の葉の焚き火で暖まって下さい。
:私は出家の身。どんなところでも ありがたいです。
この辺りは、侘住まいで有名な場所ですね。確か「わくらばに 問ふ人あらば 須磨の浦に 藻塩(モシオ)たれつつ 侘ぶと答へよ」という、在原行平(ユキヒラ)の歌があった。須磨の浦で行平が、藻塩を焼くための潮水が垂れるように、涙を流して、一人寂しく暮らしている、という歌でしたね。
それから、あの松の木は、松風と村雨という女性の旧跡と聞いたので、供養させていただきました。
N:なぜか、二人は涙ぐんでいます。
:お二人とも、どうされましたか?
村雨:行平様の話を聞いて、懐かしくなりました。
松風:今も、この世への執着が残っていて、つい泣いてしまいました。
:何? この世への執着が残っている? それは、すでにこの世からいなくなった人の言葉ではないか? あなた方は誰なのですか?
村雨:私たちは、須磨の浦で汐汲みをしていた女の亡霊です
松風:先ほどは 弔ってくださり、ありがとうございます。私が、松風、
村雨:私が、村雨でございます。
:なんと。あなた方は、松風と村雨の幽霊だったのか。
松風:行平様は、須磨の浦に3年ほどおいでになり、汐汲みの乙女達の中から、私たち姉妹を選んで、松風と村雨という名前をつけてくれたのでした。
村雨:私たちは、華やかな絹の衣装を着て行平様にお仕えしておりました。
松風:でも、行平様は都にお帰りになってしまい、
村雨:それからまもなく、お亡くなりになってしまった。
松風:私達は、待っていても甲斐のない身となり、泣き暮らしました。
村雨:恋しさから心が乱れ、神様にも見放されて、ついに、この世から消えてしまったのです。
:そうして、幽霊になってもまだ、行平様のことが忘れられないのだな。
松風:はい。この烏帽子(えぼし)と、狩衣(かりぎぬ)は行平様の形見の品です。この形見があるばかりに、心は乱れ、執着の思いが増すのです。

N:松風は、行平の形見の衣装を身につけます。
松風:三途の川を渡っても、恋しさがつのって苦しくなるばかりなのです。
N:悲しみの淵に沈む松風ですが、何かを見つめています。
松風:【*狂乱の体】あら!?   嬉しい! あそこに行平様がいらっしゃる。
村雨:何を言ってるの? あれは松でしょ。行平様ではないわ。
松風:行平様はおっしゃいました。「たとえ、しばしは別るるとも 待つと しきかば 帰りこむ」と。
だから私は、待つわ !!
村雨:ああ、思い出した。「私のことを待つと聞いたなら、すぐに帰りましょう」という行平様の言葉を。
松風:行平様が帰ってくると信じて、いつまでも 待つわ !!

N:松風は、松の木に かけ寄ります。
松風:もし、この松が、行平様であったなら、どんなに素敵でしょう。ずっとずっとお側にいておしゃべりできるのに。お懐かしい行平様!
N:松風は、松に吹き付ける風のように、狂おしく舞を舞うと、旅の僧にお願いします。
松風:どうか、私の妄執を晴らして、成仏させてください。そのために、あなたの夢に現れたのです。では、おいとま申します。
N:どこからか、夜明けの鳥の声が聞こえてきました。
:もう、朝なのか? おや、松風と村雨は、どこかに消えてしまった、、、。
N:あたりには、松に吹き渡る風の音だけが、残っていました。

★このラジオドラマは、2025年5月2日に FMいちのみや【Marbring Friday(毎週金曜19:30~20:00)】で放送された内容をもとにしています。

#能楽 #松風

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