紀元前三年に創建された椿大神社(つばきおおかみやしろ)
椿大神社のご祭神は猿田彦大神(サルタヒコオオカミ)。そして天鈿女命(アメノウズメノミコト)がご祭神として祀られているのは、別宮の椿岸神社(ツバキキシジンジャ)です。 ここでは親しみをこめて、サルタヒコさん・ウズメさん、と呼ばせていただきます!
*椿大神社の由緒 猿田彦大神は、天孫 瓊々杵尊降臨の際、天の八衢に「道別の大神」として出迎え、高千穂の峯に御先導申し上げます。そのことより、肇国の礎を成した大神として、人皇第十一代垂仁天皇の二十七年秋(西暦紀元前三年)、倭姫命の御神託により、この地に「道別大神の社」として社殿が奉斎された日本最古の神社です。 仁徳天皇の御代、御霊夢により「椿」の字をもって社名とされ、現在に及んでいます。 引用:椿大神社HP
さっそく、サルタヒコさんとウズメさんの姿が眼に飛び込んできました! 天降る天孫(天照大神の孫)の君:瓊々杵尊(ニニギノミコト)を、天と地(豊葦原)の間にある中津国の天の八衢(やちまた)で出迎えていたサルタヒコさんと、ウズメさんの、出会いの場面です。
サルタヒコさんは赤ら顔で、その鼻は長く尖った形に描かれてますね。 『日本書紀』には、サルタヒコさんの姿は、鼻の長さは七咫(7アタ:かなり長いということ?)、背の長さ7尺余り(座高が3mぐらい?)で、七尋(10mぐらい?)の身長であり、眼は八咫鏡のようで赤酸漿(ほおずき)みたいに輝いている、とありました。 その時にウズメさんは、サルタヒコさんに向かって「その胸乳を露わにし、裳紐を臍の下におしたれて、咲嗤ひて」立っていたとか・・・。 『日本書紀』に伝わるこのセクシーなエピソードは、さすがに能『鈿女』の中には取り入れられていません。
ここから三つの鳥居を越えたところに椿大神社の拝殿があり、御本殿はその奧に鎮まっています。
参道を進むと右手に恵比寿様と大黒様。
椿大神社は常に各地からの参拝者の絶えない神社です。 神社の方のお話しでは、最近は一人一人のお祈りの時間が長くなってきているそうです。
神事能『鈿女』は、拝殿の中で奉納されました。
本宮の裏につづく入道ヶ嶽と椿ヶ嶽には神代の磐座が点在
椿大神社の御神体とされる山は、鈴鹿セブンマウンテンの一つで山頂付近に平らな草地が広がり伊勢の平野を見下ろせる高山(たかやま)入道ヶ嶽(標高906m)と、その東の短山(ひきやま)椿ヶ嶽(標高450m)。入道ヶ嶽の山頂には鳥居、その付近には奥の宮が祀られています。山中に数多くある巨大な磐座では、太古の昔より祭祀が行われていたと考えられています。
御船磐座(みふねいわくら)〜最初の社殿が造営された神跡
倭姫命のご神託を受けて、山の麓に御神霊が奉斎された時、この磐座付近に社殿が造営されることになったとのこと。 写真の石碑には、御船磐座について、次のように書かれています。
往古 国津神 磯津の濱より遡り給ひて 御船をここにつながれ給ひ 高山短山(ひきやま)のいほりに安住なし給ふと申し傳ふ
国津神であるサルタヒコさんが、鈴鹿川の河口の磯津から上流に至りここに船を泊めた、という言い伝えもあるようですが・・・。
『鈿女』という能の本文には次のように書かれています。
往昔(わうせき) あれなる椿が嶽に 影向ならせ給ひし時 御船を爰につながれし 比(ころ)は春立つ今日にあたれり 引用:『謡曲叢書』(一)より
謡曲『鈿女』では、天津神の天孫、瓊々杵尊(ニニギノミコト)が椿が嶽に影向(ようごう)された時に、その船がここに繫がれた、とあります。
ということは・・・空からいらっしゃったんですね〜!
御船磐座は低い鳥居の奧の厳かな場所にありました。イワクラは、外側に舟の形に石を並べて、その内側に並べられた長方形の中の、その奧に置かれた三個の石のこと。 石碑には、中央の石がサルタヒコさん、左が皇孫瓊々杵尊(ニニギノミコト)、右はその御母:栲幡千々姫命(タクハタチチヒメノミコト)の神坐で、天降石(アマクダリイシ)と称されていたとあります。
境内に前方後円墳 ! 〜高山土公神陵(たかやまどこうしんりょう)
御船磐座より拝殿に向かって参道を進むと、左手に高山土公神陵。こちらは、古来よりサルタヒコさんの御陵とされる古墳です。
この神社に奉仕されてきた山本神主家は、猿田彦大神の直系の子孫、神裔なのだそうです。
天岩戸の前で神がかりして踊った天鈿女命を祀る椿岸(つばききし)神社
日本国土に天降りされた天孫ニニギノミコトを、天の八衢で出迎えていたのがサルタヒコさん。その時サルタヒコさんのところに出かけていって名前を尋ねたのが天孫グループのウズメさん。そして、サルタヒコさんがニニギノミコトの一行を日向の高干穂峯に導いてから、ウズメさんは天の岩戸開きの神話の中で大活躍します。その後サルタヒコさんに伴って伊勢国に戻ることになったウズメさんは、ここに社殿が造営される時、別宮(現在の椿岸神社)に奉斎されたのでした。 天照大神がお隠れになった時の天岩戸の前でのウズメさんの活躍ぶりは、次のように伝わっています。
また 猿女君(さるめのきみ)が遠祖天鈿女命、すなわち手に茅纏(ちまき)の矟(ほこ)を持ち、天石窟戸(あまのいわやど)の前に立ち、巧みに俳優(わざおぎ)を作(な)す。また天香山の真坂樹(まさき)を以ちて鬘とし、蘿(ひかげ)を以ちて手繦(たすき)として、火処(ほどころ)焼き、覆槽(うけ)置(ふ)せ、顕神明之憑談(かむがかり)す。 引用:『日本書紀』(新編日本古典文学全集)
ウズメさんの由来が書かれた掲示板を読もうとしたら逆光が入り込んできました。まばゆい光のダンスはカメラのイタズラとはいえ楽しかったです!
椿岸神社由来(一部)鎮魂の神、芸道の祖神として其の霊働は脈々と輝き、芸能を始め茶道、華道、書道と凡ゆる技招ぎの向上、また縁結び、夫婦円満の御守導、霊験あらたかで古来より信仰されております。
掲示板より
ウズメさんは神がかりして踊ったのだから、当時は巫女のような存在だったのでしょう。しかし、今や日本の芸能を守護する偉大な神様なのです。
パワースポット:かなえ滝、招福の玉、扇塚
椿岸神社は、縁結び夫婦円満のパワースポットとしても知られています。 朱塗りの社殿の横に流れるかなえ滝を携帯電話の待ち受け画面にすると、恋愛運がアップするとか!? この御神水は、本殿奧の金龍明神滝から流れてきていて万病に効くそうです。 椿岸神社の招福の玉は、福を招くという玉。 芸事・習い事に関わる扇や筆、茶碗や弦などを納めることができる扇塚(おおぎづか)もありました。
そのほかにも、聖武天皇の勅願によって奉納された獅子頭にちなんで、現在も舞われている獅子舞神楽は日本最古とされています。 椿大神社には、経営の神様、松下幸之助さんが寄進された茶室もあり、椿大神社に熱心に参拝された幸之助さんを祀る社殿までも造営されていました。
〜 今みることの不思議さよ 〜