能や狂言については、独特の用語が用いられることが多いため、難しく感じられるかもしれません。
今回は、その中でも、
配役に関わる用語[シテ・ワキ・ツレ・トモ・子方・アイ]
について考えてみました!
シテ
初めて能を観た時に、「シテ」という言葉を聞いた方のエピソードです。
能の作品解説の時に、
「シテが・・・」「シテが・・・」と言われて、
「して、って何だろう?」と考えているうちに、
「ひょっとしたら、登場人物のあの人のことかも・・・」と、
どうにか自分なりに答えがわかってきたのだそうです。
そんな、一般には馴染みの薄い「シテ」という言葉を、整理してみたいと思います。
役者としてのシテ
「シテ」とは、
能の創始者である世阿弥が使っていた言葉です。
世阿弥が書き残した伝書には、
シテという言葉は「為手」と書かれています。
文字通りの意味は、
舞台のうえで、何かを行う人、何らかの行為をする人、となります。
英語で、行為・行動とは act だから、行動する人 ならば、
actor 俳優
actress 女優
に対応します。
世阿弥は、「為手」という言葉を、
「若き為手」「ことの外劣りたる為手」というようにも使っています。
このような場合は、
[若い役者][かなり劣った役者]という意味に受け取れます。
「為手」という言葉は、
英語の発想と同じように、「役者・俳優」という意味で用いられていたのです。
たとえば、世阿弥が目指していたのは、
「天下の許されを得たる為手」
天下に役者としての実力が認められるような上手な役者になることでした。
また世阿弥は、一座を代表する役者を「棟梁」と呼んでいます。
主役としてのシテ
一座のトップ俳優、つまり
「棟梁の為手」が演ずべき役柄は、もちろん主役です。
主役となる登場人物を、現在は「シテ」と呼びます。
主役となる人物は、作品ごとに、キャラクターが全く違っているものです。
ですが、それぞれの能で、主役の人物が誰であっても、
すべて「シテ」という言葉で通用しています。
「シテ」という言葉は、
世阿弥の時代には、「為手」つまり、一般的な役者、という意味でしたが、
現在は「主役」となる登場人物の役柄、または「主役」を仕る役者、という意味に変わってしまいました。
ワキ
脇を固める役者としての「脇の為手」
世阿弥は「よき脇の為手を持つべし」と書いていました。
この場合の「脇の為手」は、脇役のことです。
「脇の為手」が担当する役柄の一部が、
現在の「ワキ」という役に相当すると考えられます。
この「ワキ」も、世阿弥の時代には一座の「為手」=役者の1人だったのです。
ただし、世阿弥は、能を作る時に、
「棟梁の為手」とそれ以外の「脇の為手」の役割分担を、強く意識していたと考えられます。
特定の脇役を演じるワキ
そのため、いつしか、主役としての「為手」のみが「シテ」となり、
「脇の為手」の中から、能面をつける必要のない普通の男性の役としての、「ワキ」の役が分かれていきました。
現在では、
シテ(主役)を担当することのできる役者グループ「シテ方」と
ワキの役のみを担当するグループ「ワキ方」に分かれています。
その他の脇役
ツレ
「ツレ」というのは
お連れの人、というような意味合いで名付けられた脇役といえます。
シテに関わる役の場合は、「ツレ」あるいは「シテツレ」と呼ばれます。
ワキに関わる役の場合は、「ワキツレ」と呼ばれます。
トモ
「トモ」と呼ばれる役は数少ないのですが、
「シテ」のお供の太刀持ちのような小さな役柄などがあります。
子方(こかた)
いわゆる子役のことを、能では「子方」と呼びます。
「子方」の役は、大きく分けて二つのタイプがあります。
1.子供の役
2.天皇や義経など歴史的に重要な人物を、あえて子供に配役する
*この方法は、能独自の発想です。
アイ
狂言の役者さんが、能の中にも登場する時に、「アイ」と呼ばれます。
「アイ」の役割は、
・「シテ」が退場している間の場面を繫ぐ
・ワンポイントで登場する役柄
・他の登場人物と何度も関わる役柄
など、それぞれの作品ごとに違っています。
*狂言としての演目が上演される場合、その主役も、「シテ」と呼ばれます。
シテ方・ワキ方・狂言方
「シテ」は「仕手」と表記されることもあります。
能の役者は、役を「演じる」のではなくて、役を「つとめる」のだと考えられてきました。
その場合には、主役を「つかまつる」役者、というニュアンスが感じられます。
現在、能の上演で、立ち役として登場する人物は、
シテ方[シテ・ツレ・トモ・子方]
ワキ方[ワキ・ワキツレ]
狂言方[アイ]
という三つのグループ、三役に分かれています。
つまり、能の登場人物は、三つのグループの人達から構成されているのです。
能の世界では、
登場人物が、その人の名前ではなく、[シテ・ワキ・ツレ・トモ・子方・アイ]などと
立ち役としての 役割 で呼ばれることが多いのです。
能の世界のプログラムにあたるものは、「番組」と呼ばれてきました。
「番組」に書かれているのは、もっぱら能の題名と、役者名だけで、登場人物としての名前は、記載されないことがあります。
誰が、何の役なのか?
初めての方には、さっぱりわかりません。
実は、主役が誰なのか、誰が、どのグループ(〇〇方)なのかは、書かれた位置で、わかるようになっているのです。
ただし、その場合では、演目の主役が、どういう人物 なのかを、知っていることが前提となっているのです。
現代の観客としては、その役者さんが、どのグループなのかより、なんという名前の登場人物の役なのか、ということを知っておく方が、わかり易いことでしょう。
🍀 🍀 🍀
時々、「能って、それぞれに登場人物がいて、ストーリーがあるんですね〜!?」
という風に驚かれる方がいらっしゃいます。
そうなんです 🎭
世阿弥の時代には「為手=actor」という言葉が使われていたわけですから。
能は、実際に、登場人物がいて、筋書きがあり、
舞台の上で、役者さんによって演じられている劇なのです。
世阿弥の感覚は、実は、現代の演劇人の感覚に近かったのではないでしょうか。
〜今みることの不思議さよ〜