能『鈿女(うずめ)』:椿大神社の祭礼の日に、天鈿女命の神霊が神楽を舞う!

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ツバキ

 

能『鈿女(うずめ)』を鑑賞したのは令和2年の4月11日のことでした。

当日になって三重県にも緊急事態宣言が発令されましたが、椿大神社の春季大祭の他の予定は中止となったものの、能『鈿女』は、新型コロナウイルスの感染拡大の収束が祈願された上で奉納されました。

いつもはこの神事能を楽しみに来られる人でいっぱいになるとのこと。
しかし、さすがに今回は参拝者も少なく、全員マスクをして、舞台からも距離をとり、三密を避ける形で鑑賞しました。

能『鈿女』の詞章が書かれた謡本(うたいぼん)を、社務所で購入することができました。
『鈿女』の本文と、当日の簡単なメモ書き、そして椿大神社の方から伺ったことをなどをもとにして、『鈿女』という能が一体どのような内容なのか、ご紹介します。

 

 

昭和48年に復曲された能『鈿女』  

『鈿女』という能は、現在では上演されていない演目なので、ひょっとしたら椿大神社のために新作されたのかな・・・と思いつつ調べてみたら『謡曲叢書』(一)(博文館、大正4年発行)に掲載されていました。

室町時代に作られていたものの上演が途絶えていましたが、昭和48年に当時の金剛宗家によって復曲され、以後4月11日の春の大祭で毎年奉納されているそうです。

今回初めて拝見しました。
能として必要な要素は標準装備されている、いかにも能らしい作品、という印象を受けました。

あらすじ

椿大明神(現在の椿大神社)の春の祭礼の日に、天鈿女命の神霊が現われて舞を舞う。

時・季節

時は室町時代。
季節は仲春。

この能は、室町時代の春の祭礼の日の出来事として書かれています。

現在、春の大祭の開催日は毎年4月11・12日となっているそうですが、平安時代の仁和年間には、すでに仲春四月に大祭があったという記録が残っているとのことです。

場所

勢州 一之宮 椿大明神、つまり現在の椿大神社

登場人物

【主役】*能ではシテと呼ばれます。

主役は、題名そのもの、ウズメさん。

といっても、天の岩戸の前で神懸りした時の天鈿女命ではなく、この椿大神社の別宮に神霊として祀られている天鈿女命です。
ただし、能の前半では、里の女の姿で現れます。

能『鈿女』の主役(シテ)は神様なのです。

能では、『鈿女』のように神様を主役(シテ)とする作品が数多く作られていて、次の様に呼ばれています。

・脇能(わきのう)・・・「翁」という儀式の次に、つまり「翁」の脇に添えて演じられる、神様を主役とした能という意味

・神能(かみのう)・・・神様が影向し祝言の意味がこめられた能という意味

室町時代に、神様が姿を見せてくれるおめでたい演目が作られて、各地で上演されていたのは、神々の神徳を世に広めると同時に、寺社仏閣が宣伝されることになり、参拝者を呼び集めるという効果が期待されていたからではないでしょうか。

【脇役】*能ではワキ・ワキツレ、ツレなどと呼ばれます。

勢州一之宮椿大明神、つまり椿大神社を代表する神職(ワキ)

神職と一緒に、男性が登場します。
神楽の
楽器、鼓を演奏する役者(ワキツレ)です。

【端役】*アイと呼ばれます。

アイとは、狂言方の能楽師が担当する役のことで、能の中ではしばしばワンポイントで出演します。

『鈿女』のアイは所の者、祭礼に関わる地元の人、という役柄です。

能「鈿女」の場面進行

神職(ワキ)と、神楽の役人(ワキツレ)が登場

まず最初に、登場人物ではありませんが、
能の楽器を演奏する囃子方(はやしかた)と、
謡を担当する地謡(じうたい)が、
舞台に出て所定の位置につきます。

囃子方の演奏が始まると、最初の人物が登場します。
伊勢国の一之宮である椿大明神、つまり現在の椿大神社の境内に、
椿大明神の宮司らしき神職
が、神楽の役者と一緒に登場します。

神木の椿の花は今が盛り。
神職は、神楽の役者に準備をするようにと伝え、これから若宮鈿女の御前で神楽を執り行うことを述べます。

 

里の女(前シテ)が登場

再びお囃子が始まると、一人の女が登場します。

どこからともなくあらわれた女が独り言をつぶやく、モノローグの場面です。

亀山を通って都と伊勢を行き来する人々をいつも導き守護してくれている椿大神社の神様。その広大な御神徳に感謝しながら参詣している様子です。

 

女と神職の会話(問答)の場面

祝詞をあげるために神前に待機していた神職は、神殿にやってきた女に気付いて声をかけます。
ここから、二人の会話が始まります。

近くに住んでいるというこの女は、ウズメさんが天の岩戸の前で足を踏みとどろかして舞ったことや、サルタヒコさんが天つ神を天の八衢(やちまた)で出迎えて蘆原中津国の高千穂へ案内されたことなどを詳しく知っていました。

気をよくした神職は、ここで、御船磐座の由来を女に紹介します。

〽往昔(わうせき) あれなる椿が嶽に 
 影向ならせ給ひし時 
御船を爰につながれし 
 比(ころ)は春立つ今日にあたれり

引用:『謡曲叢書』(一)

ちょうど今日が、昔、天孫、瓊々杵尊が降臨されたまさにその日だったということになっています。
ということはつまり、ウズメさんとサルタヒコさんが出会った日でもあるわけです。

  謡曲の本文では、椿ヶ嶽とありますが、社伝としては、天孫が降臨されたのは入道ヶ嶽だったと伝わっているそうです。

 

景色をながめているうちに女は神隠れしてしまう。

女は神職とおしゃべりしながら、山の麓の小高い場所にあるこの宮を廻って、あたりの景色を楽しみます。
二人のセリフは謡の調子にかかっていき、
神職のセリフとナレーションは、地謡が謡います。
舞台上では、女だけがゆったりと動きます。

東には、伊勢湾の蒼い海原。
その南方に二見ヶ浦。

南に広がる平野のあちこちに、夕食のかまどの煙が立ちのぼっているのが見えます。

潮が満ちて月が姿を現しました。
神楽の時刻がせまっています。
すると女は「しばらくしたら、再び姿をお見せしましょう」
といって神隠れしてしまいました。

 

この女は、能の前半で、里に住む普通の女の姿をしていましたが、実は、天鈿女命の神霊の化身だったのです。
そして、後半で、本来の神様の姿で天鈿女命が現われます。
このような場面展開は、能ではよくあるパターンです。

そもそも能は、事前に筋書きなどを調べたりして、ネタバレ前提で鑑賞することが多いです。
にもかかわらず、前半の人物(里の女)からは想像できない姿で後半の人物(天鈿女命の神霊)が登場すると、思わず「あっ!」と驚かされてしまうのです。
そこのところが、生の舞台の大きな楽しみといえます。

 

所の者(アイ)が登場:間狂言(あいきょうげん)

里の女と入れ替わるように、所の者がやってきます。
氏子の世話役のような人ではないかと想像しながら鑑賞しました。

彼は、ご祭神の天鈿女命が、天照大神のお隠れになった岩戸の前でどのように踊ったのか、その時の様子を語ります。
そして椿の花に囲まれたこの場所で、今から天鈿女命の神霊を慰めるために神楽を始めることを、参詣の人々に伝えます。

 

神楽の演奏が始まると、天鈿女命の神霊(後シテ)が現れる。

神楽の時刻になると、天から光りが射してきました。
鼓の演奏が始まり、その光の中から天鈿女命の御神体があらわれます。

この時、神楽の役人(ワキツレ)が鼓を演奏するわけではありません。
舞台後方に並ぶ囃子方(笛・小鼓・大鼓・太鼓)が、【神楽】を含めてすべての演奏を担当します。

いよいよ、芸能の祖神・夫婦円満・縁結びの神として人々を守護する女神の登場です。

ポスターの写真は、神霊としてのウズメさんの姿です。

 

天鈿女命の神霊が舞を舞う。

ウズメさんが女神の姿で登場すると、ここから舞の場面となります。
舞の場面は、それぞれの作品の山場・見せ場として作られています。

 

能では「歌う」ことは「謡(うたい)」と呼ばれます。
「ダンス」や「踊り」に相当する言葉は、「舞」です。
ちなみに能では、「演技をする」「能を演じる」など、演技全体についても「舞う」と表現されます。

それとは別に、能の中で具体的に「舞を舞う」場面については、次の二つのタイプがあります。

A:謡(うたい)にあわせて舞を舞う

B:楽器つまりお囃子(笛・小鼓・大鼓・太鼓)の演奏にあわせて舞を舞う

 

さて、『鈿女』の場合は、Aの場面の次に、Bの場面が続きます。

『鈿女』のAの場面は主に〔クセ〕とよばれます。
祭神である猿田彦大神の由来、ウズメさんとサルタヒコさんが夫婦として慣れ親しんだこと、そして天の岩戸神話を思い出し、八百万の神々とともに神遊びの舞をまったことなどが、謡われます。
この時は、謡の言葉や内容に合わせた所作を交えて舞が舞われます。

Aの〔クセ〕の舞が終わり、神職が「謹上再拝」と祝詞をあげると、神楽の奉納となります。
そこからBの、お囃子の演奏による舞が始まります。

『鈿女』の場合は【神楽】と呼ばれる能の舞が舞われます。
能の【神楽】は、神様にとり憑かれて神懸りした巫女か、女性の神様が舞う舞です。

【神楽】という舞をはさんで、次のように和歌が謡われます。

〽千早振る 
 【神楽】 
〽天の岩戸の神遊び 今思い出も面白や

ウズメさんは、かつて天の岩戸の前で神遊びしたことを懐かしく思い出しながら舞を舞っている様子です。

 

御船の底に姿を消す天鈿女命

舞が終わってからの結末の場面は、次の様に謡われます。

〽天のうき(浮)橋 御船(みふね)の底に 入らせ給へば 
 実にあらたなる神慮(かみごころ)
 実にあらたなる神慮の その春の夜も あけにけり

引用:『謡曲叢書』(一)

 

ウズメさんが退場するラストシーンを、現代風に言いかえてみました。

天鈿女命の神霊は、天の浮橋から御船にお乗りになり、
その底に入ってしまわれた。
天鈿女命のあらたな霊験に感謝しているうちに、
いつしか春の夜は明けてしまいました。

ウズメさんも能『鈿女』を鑑賞していたかも !?

 

 

「椿大神社の祭礼の日に神殿で神楽を奉納しようとする時に、ウズメさんの神霊が現われて、ウズメさん自身が神楽を舞ってくれる」
という能『鈿女』が、椿大神社の大祭で上演される。

何とも粋なはからいではありませんか
ただちょっと、状況を理解するのがややこしいかもしれませんが・・・。

普段私たちは、神様が登場する能を、能楽堂で鑑賞します。
その場合、当日の上演そのものには注目しますが、必ずしも神様という存在が注目されているわけではないと感じます。

『鈿女』の本文をみていくと、作者が、神話の伝承や現地の状況などを何らかの形で取材していた形跡が認められます。

そもそも能は、新作された時点でフィクションですから、神仏であっても作られた登場人物(登場神仏!?)のお一人だということになります。鈿女さんは、あくまでこの能のために作られたキャラクターなのです。

ですが、椿大神社と椿岸神社をお参りして、そこで『鈿女』という能を観るということは、いつもとは全く違う体験となりました。

なにしろ、【神楽】の舞が始まった瞬間に、神様らしき女性がとても楽しそうに笑っている、というイメージが湧いてきたのです。

気のせい・・・だと思いました。

でも、もしかして今、ウズメさんが舞台を観ていたり舞を舞っていたとしたら・・・面白い♡ という気持ちになったんですよね。

古墳もあり、磐座もある。
背後には天つ国の皇孫が天降ったという山がある。
その場所で『鈿女』という能を観た時、
古代と、中世と、現代が、同時にあるように感じました。

能は、私たちと古代の神話や歴史との仲立ちになってくれる。
それが今回の新しい発見でした。

 

〜今みることの不思議さよ〜

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